東北 ドライブ旅行 宮城 仙台「食べる・見る」備忘録




東北地方 も 3日目。 題して  東北 ドライブ旅行 宮城 仙台「食べる・見る」 備忘録

 

前回、 ブログ記事 内容は 以下の通りですので 宜しかったら 御覧ください。

  1. 2018年 夏 東北 ドライブ 旅行 3泊4日 銚子~青森 までの 観光地めぐり備忘録
  2. 東北 ドライブ 旅行 岩手県 盛岡冷麺を食べる 備忘録

 

東北 ドライブ 旅行 岩手県 盛岡冷麺を食べる 備忘録

2018年9月5日

東北 ドライブ 旅行 3泊4日 銚子~青森 備忘録

2018年9月3日

 

前回までの あらすじ

 

そもそも 事の 発端は 今年の夏は 「とにかく暑い」 涼しさの 大地を 連想すると日本列島 北上 した方が良いかと 、、安易 な 考え。

また 、日頃の 疲れを 癒やしたいので 温泉 に行きたい!
さらに 欲を言って 冷たい 「冷麺」 を食べに行こう~と 決めて 3泊4日 の 旅 を決行しました。

 

東北 ドライブ 旅行 3泊4日 銚子~青森

 

車中1泊
3泊4日の概要

 

  • 仕事を終え12:00銚子出発
    常磐自動車道 途中 宮城県 鳥の海 PA   仮眠

 

  • 1日目
    宮城県 鳥の海 PA→
    十和田湖→
    奥入瀬渓流→
    岩手県雫石 (温泉 目的達成)

 

  • 2日目
    岩手県雫石
    田沢湖→
    盛岡冷麺を食べる (目的達成)
    盛岡城跡公園→
    仙台市内(牛タンを食べる)

 

  • 3日目
    仙台出発
    仙台城跡→
    ニッカウヰスキー見学→
    猪苗代湖→
    鬼怒川温泉 (目的達成)

 

  • 4日目
    鬼怒川温泉宿出発
    日光中禅寺湖→
    華厳の滝→
    宇都宮で餃子を食べる予定でしたが行きたい場所が「休み」残念→
    無事帰宅

 

ルートは
往路・海岸線の高速道路を使用して目的地へ
復路・山間部の高速道路を使用して帰宅といった感じです。

 

 

東北 ドライブ旅行 宮城 仙台「食べる・見る」 備忘録

 

2日目の夜に 宮城県 入りした訳ですが 仙台市 は 交通量 も多く
なんら 関東首都圏 と変わらない 街並みの 光景 のように思いました。

その夜の 食事 ですが 仙台 と言えば 「牛タン」 ですよね~。
宿泊 した ホテル が 仙台市内 でしたので 外に出れば 至る所に 食事処 は可能な訳で

ま    ビール を飲みながら  一杯 出来る場所へと 繰り出しました。

 

選んだ 場所は ココ 「たんや 善治郎」 でしたが、
外観の 雰囲気 が良かったので 思わず 入店 してしまいました。

既に 店内は お客さんで 一杯な状態で    少々 待つ ハメになりましたが….

注文した 牛タン を見ると….

 

 

 

期待 以上に ….

牛タン の 厚さ には驚きました。
他の 料理も 注文しましたが とても ボリューム感があるので
仲間同士 や ガッツリ食べたい方 などには 良いかもしれませんね。

 

仙台 牛タン

宮城県仙台市または仙台都市圏(以下「仙台」)の牛タン料理は、庶民の外食産業から発展したものであり、「仙台牛タン」の名称で名物として知られている。

戦後占領期の仙台市街地における外食産業は、宮城県内に終戦後1ヶ月程度で約1万人にまで急増した、仙台空襲後の当地においては経済的に富裕層にあたる進駐軍のGI(ほとんどが当時人口50万人程度(現在は150万人超)の仙台都市圏に集住)を主要な客として急激に発達したX橋周辺や苦竹キャンプ周辺の歓楽街以外にも、日本人向けに戦前からの和食・中華・洋食の店舗や小田原蜂屋敷の遊廓、仙台駅前(西口)周辺に非合法ながら大規模に発生した闇市や屋台の街、そして明治維新後に国分町に取って代わって繁華街となった東一番丁(現・一番町)の諸所にあった焼き鳥屋(ニワトリに限らずブタやウシの正肉や臓物も材料にした)など様々存在した。

このような中で東一番丁(現・一番町)の焼き鳥屋(主に夜に客が多い居酒屋)の主人・佐野啓四郎(山形県出身)がその料理人人生から得た知識・技術を用い、当時の日本人の味覚に合う牛の舌部を用いた「牛タン焼き」および同尾部を用いた「テールスープ」を開発。さらに当時の日本人の食生活に合わせて定食屋(主に昼に客が多い)の一汁三菜型をならい、それらを含んだ「牛タン定食」を完成させた。進駐軍は解体された牛肉の正肉ばかり輸入していたため臓物の牛タンの供給元としては望めず、周辺県の屠畜場にまで牛タン等を求めた。

「牛タン定食」は、当時の食糧難(農地改革や戦後開拓をしてもコメ不足)を反映した「麦飯」、冷蔵庫が普及する前の時代(三種の神器参照)に望むべくもない生鮮野菜に代わる「野菜の浅漬け」、同主人の出身地である山形県の伝統料理「味噌南蛮」、エネルギー革命前で都市ガスが一般化していなかった当時の燃料事情[注釈 1]を反映した炭火による牛タン焼き、そしてテールスープが構成要素となる。

「牛タン定食」は、同主人が1948年(昭和23年)に移転・開業した仙台市都心部の「太助」において、1950年(昭和25年)に初めてメニューとして成立した。同主人は「太助」開業前から自身の店舗で牛タン料理を出しているため発祥年は不明だが、便宜的にこれらのどちらかの年号を用いて「仙台牛タン」の発祥年とする例が見られる。

因みに1950年(昭和25年)は、炉端焼きの発祥店「炉ばた」が同じ仙台市で開業した年である。炉端焼きも当時の食糧・エネルギー事情がその成立背景にある(当時は、外食券が必要な外食券食堂、あるいは、必要ない雑炊食堂でないと法的に外食を提供出来なかったが、両者がそのような食堂であったかどうかは不明)。

牛タン料理は後に「仙台名物」とまで称されるが、そこに至るまでは紆余曲折がある(#歴史参照)。また、1978年(昭和53年)に登録されたブランド牛肉「仙台牛」(肉質等級が最高の「5」に格付けされないと呼称が許されないという、日本で最も基準が高い超高級ブランド牛肉[2])とは全く無関係に発展しているが、マスメディアも含めて混同も多い。当地の牛タン料理は、専門店であっても安価な米国産あるいは豪州産を使用しているが、仙台牛を用いた高級メニューが一部の牛タン専門店には存在する。

ウィキペディア より

 

 

伊達政宗の騎馬像 街を見守る青葉城址へ

 

3日目の予定は 仙台観光 という訳ですが 定番スポット とも言える 伊達政宗の騎馬像・街を見守る青葉城址へと 訪問した訳ですが 僕が訪れるのは これで2回目。

銅像自体は 変わらず といった感じでしたが 周りの 公園の 雰囲気が変わっていたようにも 感じますが….どうなんでしょうかね~?

25年以上前の 記憶 ですので     おぼろげです….。

 

 

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

 

この日も 暑かった~

帰り際に お土産屋さんで 仙台名物の 冷えた「ずんだ餅」を食べました。
枝豆を すりつぶし、お餅に 絡めることで作られてますが 口の中で 枝豆の香りと ほのかな甘さが 印象的 だったかも? 

それと 購入の際、売店の おばちゃんが 「団子が よく冷えてますからねぇ~」という言葉が印象的だった….。(爆)

 

ニッカウヰスキー見学 なぜかワクワクしてしまうのはなぜ?

 

単純に お酒が好き だからでしょうね~。
それと 僕はハイボールが好きなんですよ。 あの 炭酸が効いた シュワシュワ感 がねぇ

時折、居酒屋で ハイボール を頼み
出された瞬間に 炭酸が効いて無いと「あ~この店は….」となってしまいます。

話が 反れましたね。
ま     自分が好きな ウィスキーに 関連することですので 悪しからず….。

 

 

 

この工場に訪れた印象は 周りの自然との 調和 されている 印象 です。

 

工場の外壁は 全て赤煉瓦で 緑色の景色と マッチしてます。
電線も無く 全て地下に 収められているので、機械的な 工場の 雰囲気が 漂いません。
また 元々在った 樹木を伐採しないように 建てられたので 樹木の歴史を 感じさせられます。

全て 創設者 の 理念 なのでしょうね。

 

 

創業者 竹鶴 政孝

竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 – 1979年8月29日)は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる

 

 

 

外国で 修行し 日本の風土に合わせた ウィスキー を作ったとは….
もはや 現代用語で「神」と言うしかありませんね。
また、印象的だった 光景ですが 貯蔵 された タンク の上に「良い酒が作られるように」と 綱輪 が掛けられてました。

作られる物は 洋酒 ですが
これは 創業者が 日本人であるがゆえに 日本人の心が宿す想いや 願いが 表現されてると申しましょうか、、。
そんな 竹鶴 氏 の 理念が ずーっと    今後も 受け継がれている様を 見学によって 身近に感じることができました。

凄い人 だったのですね~。

 

猪苗代湖ルート 一般道を通って鬼怒川温泉 最終宿へ

 

ニッカウヰスキー 宮城峡蒸溜所 を後にして 最終宿の 鬼怒川温泉 へ向かいます。

ルートは 東北自動車道 から 猪苗代湖 に向かいます。
東北自動車道から ちょっと外れて 一般道を通って 目的地の 鬼怒川温泉 に向かう予定 です。

 

 

猪苗代湖 沿いの 一般道 ですが 畑 と 山間 のちょうど 中間に 湖畔 が見えますが
なんとも のどかで 夏らしいい 風景 です。

アクセントに「雲」が良い感じです。
自分的に この画像が 好きですが 読者の方は どう思われるでしょうか?(微笑)

 

鬼怒川温泉宿 到着

 

ちょうど 5時過ぎに 到着でした。

くねくねと 曲がりくねった 一般道を走ってきた訳ですが 高速道路の利便性を考えると 超ローカル的でしたが これもまた良い感じでした。

何はともあれ 無事に 到着できて 良かったです。

 

 

実は 最終日の宿ですが 予約が取れた日が 1日前 ということで
何とも アバウトな性格 というか….
「どーにかなるよ!」の精神で いささか 不安でしたが….
どうにかなってしまうものなのですよね~。(笑)

その分、宿の 料金 は高めでしたが
ま~     それなりに 良かったのは 確かでした。

 

 

 

鬼怒川温泉・歴史

栃木県日光市(旧下野国)の鬼怒川上流域にある温泉。
かつては箱根や熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれ現在でも年間200万人以上の観光客で賑わう。

古くは滝温泉という名前で、1691年に沼尾重兵衛が鬼怒川右岸で源泉を発見されたとされる。日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉であった。

明治時代になって滝温泉が一般に開放され、明治2年には東岸にも藤原温泉が発見された。その後、上流に水力発電所ができて鬼怒川の水位が下がるとともに、川底から新源泉が次々と発見され、1927年(昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて鬼怒川温泉と呼ぶようになり、その名称は今日までいたっている。この頃から多くの旅館・ホテルが開業を始め、1929年の下野電気鉄道(現・東武鬼怒川線)の開通もきっかけとなり、次第に温泉として発展していった。

戦後は特急「きぬ」の運行などもあり、東京から観光客が押し寄せて日本有数の大型温泉地としての発展を見せた。

 

小言….

一時期 鬼怒川や熱海などの大型温泉地が寂びれてしまったとの報じでしたが
温泉街・散策で 目についた光景は…. と言うと

潰れた 温泉宿
今も尚 解体されて無く
寂しい気配の 温泉宿跡地 を見受けました。

時代の背景に 惑わされる事無く 堅実に生きた宿が
今も尚 経営されているのでしょうかねぇ~。

 

まとめ

 

ちょうど この日は 甲子園・高校野球の決勝戦を終えた 次の日 だったかもしれません。

話題は 優勝した 大阪桐蔭高校に勝る 秋田・金足農業高校(準優勝)の 話題が報じられてました。
そんな最中に 自分達が 東北に居て 前日の田代湖に居た時には 思わず….  秋田 まで 応援に行ってしまおうか! とさえ 思ってしまいました。

緑多い この地域で 東北県人の チームワークの良さや 粘り強さは この大地から 生まれるのかな~と 身近に感じた次第です。

旅も 北東北から 南東北に 下り
既に 北関東 まで到達してるという 時間の早さと「もう少し この場所に居たいな~」という気持ちが 交差しているようにも 感じました。

東北 ドライブ旅行 も 残り 1日 となりました。

 

東北 ドライブ旅行 宮城 仙台「食べる・見る」 備忘録

以上です    でわ、また 。

 

東北 ドライブ 旅行 岩手県 盛岡冷麺を食べる 備忘録

2018年9月5日

東北 ドライブ 旅行 3泊4日 銚子~青森 備忘録

2018年9月3日

 

 

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