東北地方 も 2日目 題して 東北 ドライブ 旅行 岩手県 盛岡冷麺を食べる が目的です。
前回、 ブログ記事 内容は 以下の通りですので 宜しかったら 御覧ください。
2018年 夏 東北 ドライブ 旅行 3泊4日 銚子~青森 までの 観光地めぐり備忘録
前回までの あらすじ
そもそも 事の 発端は 今年の夏は 「とにかく暑い」 涼しさの 大地を 連想すると日本列島 北上 した方が良いかと 、、安易 な 考え。
また 、日頃の 疲れを 癒やしたいので 温泉 に行きたい!
さらに 欲を言って 冷たい 「冷麺」 を食べに行こう~と 決めて 3泊4日 の 旅 を決行しました。
東北 ドライブ 旅行 3泊4日 銚子~青森
車中1泊
3泊4日の概要
- 仕事を終え12:00銚子出発
常磐自動車道 途中 宮城県 鳥の海 PA 仮眠
- 1日目
宮城県 鳥の海 PA→
十和田湖→
奥入瀬渓流→
岩手県雫石 (温泉 目的達成)
- 2日目
岩手県雫石
田沢湖→
盛岡冷麺を食べる (目的達成)→
盛岡城跡公園→
仙台市内(牛タンを食べる)
- 3日目
仙台出発
仙台城跡→
ニッカウヰスキー見学→
猪苗代湖→
鬼怒川温泉 (目的達成)
- 4日目
鬼怒川温泉宿出発
日光中禅寺湖→
華厳の滝→
宇都宮で餃子を食べる予定でしたが行きたい場所が「休み」残念→
無事帰宅
ルートは
往路・海岸線の高速道路を使用して目的地へ
復路・山間部の高速道路を使用して帰宅といった感じです。
2日目 。
まずは 目的 だった 冷麺 の 記事 から書かせていただきます。
東北 ドライブ 旅行 岩手県 盛岡冷麺を食べる その 盛岡冷麺 の 特徴 はと言うと
そもそも 人間の体は 夏場の暑さで 大量に汗をかき 水分が放出され 逆に 不足した水分が 欲しくなるものです。 なので どうしても 冷たい水や 食べ物などを取り入れますよね? その為、 胃や腸などの基礎代謝量が低下し 同時に 栄養不足 なりがちになってしまう為「夏バテ」に至ってしまうようです。
なので、「栄養力」 になる物と 同時に 補給された方が良いかもしれませんね。
まだまだ暑い日が続きますので体調には十分注意したいものです。
さて、 本題 です。
冷麺 は 焼肉店に行くと 必ず メニューで見受けられますが、
僕の場合は 残念なことに 焼肉を食べた後に 美味しい 冷麺 を食べたことがありません。
理由は
昔の事ですが 20数年 程前に 盛岡 に訪れた事があって その時 食べた 冷麺 の味が 未だに忘れられないことと….
それか、 美味しい店 を知らないか? どちらかでしょうね (笑)
盛岡冷麺 とは
盛岡冷麺(もりおかれいめん)は、岩手県盛岡市の名物麺料理。辛味のある冷麺である。わんこそば、じゃじゃ麺と並んで「盛岡の三大麺」と称されている[1]。盛岡では一般的に「冷麺」というとこれを指す事が多く、主に焼肉店での定番として供される。公正取引委員会が承認する特産・名産麺料理10品目の中で唯一の冷製専用品目である。
盛岡冷麺の麺は、スパゲッティなどのパスタと同様に小麦粉、片栗粉などを用いた生地に強い力を加え、麺の太さに合わせた穴から押し出して作られる。この際、麺が高温になりアルファ化するために強いコシがもたらされる。この押し出し麺という製法は、盛岡冷麺には不可欠とされる。
その後の製品開発により、非押し出し製法である混練法で冷麺を製麺している製麺所も存在する。盛岡冷麺の殆どに付け合わせ(口直し)として果物が載せられるが、リンゴ、スイカ、梨など季節に合わせて変えるのが一般的である。 また、盛岡で冷麺の辛みとして合わせるキムチは主に大根であり、カクテキと表す方が適切である。殆どの店では辛みの程度を数段階(辛みなし、弱、中、強)から選べるが、冷麺とは別の皿で出させる別辛を選ぶ者も多い。
代表的な店舗:ぴょんぴょん舎、食道園、やまなか家、盛楼閣、大同苑、髭、ヤマト
東北 ドライブ 旅行 岩手県 盛岡冷麺を食べる 代表的な店舗 大同苑
ウィキペディア に 書かれていた 大同苑 という 場所 に行ってきました。
若い時と違って 大量に 肉を食べる ということは 今では 無理ですので
スタッフさんが オススメ した 裏牛タン と 冷麺 を 注文 。
僕の 地域 では 耳慣れない 言葉 です。
特に 裏牛タン は 初めての 食体験 でしたので「良し悪し」は 別問題 として 頂くことに….
裏牛タン
字の如く 「舌の裏」 ということですが 食べた 感想 は非常に 「コリコリして 硬い」 通常の 牛タン とは違って 食感 が 物珍しく 感じました。
冷麺 ですが
感想は コシ があって 美味しかったです。スープ の 辛さも (小辛・中辛・大辛)といった 具合に お店側が 調整 してくれます。僕が 頼んだ 辛さ は 中辛 でしたが…. 辛さ に関しては まだまだいけそうな感じでしたので 大辛 でも良かったかもしれません。
食べ終えて 美味しくいただき 旅行の目的 も 達成 できたので 満足 といった感じです。(笑)
たつこ像 がある 田沢湖 へ 最大深度は423.4mで日本第1位
さて、観光した場所ですが 秋田県仙北市にある 田沢湖 (淡水湖)
景色は 十和田湖 に劣らず 綺麗 です、湖畔沿いを ドライブ してると 箇所によっては エメラルドグリーン 叉は ブルー とでも言いましょうか
光に照らされた水面の 表情 が違って見える 光景 でした。
秋田県の中東部に位置する。直径は約6kmの円形、最大深度は423.4mで日本第1位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である(世界で最も深い湖はバイカル湖)。
浮木神社 御由緒
田沢湖 直径 約6kmということで 湖を半周すると たつこ像 を拝見できます。
その すぐ側に 小さな神社がありましたが 浮木神社という場所です。
潟尻明神ともいい、1769年、秋田藩士益戸滄洲によって漢槎宮と命名されたことから、この田沢湖のことを漢槎湖あるいはただ漢槎と呼ぶようになりました。拝殿正面に揚げられた漢槎宮の扁額は滄洲が遊覧のおり、船頭をつとめた少年斉藤千太郎に書き与えたものです。
(境内 掲示より)
美と縁結びスポットだそうです。
たつこ像は 黄金色 だった
ひときわ 目立つ金色でしたね~。
背景も 自然そのものでしたので カメラに収める アングル も自由自在といった感じです。また、湖の水面も低く たつこ像 のすぐ近くまで 行くことができました。
たつこ伝説
田沢湖周辺には、(イワナを食い[20])水をがぶ飲みして龍の体になった辰子と八郎がやがてめぐり合って夫婦になったという伝説がある[20][注釈 2]。
田沢湖のほとり神成村に辰子(タッ子、または金釣(カナヅ)子ともいわれる[20])という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。
辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという。
北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎太郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。
一部では、タッ子(辰子)には不老不死の願望があったが、のちに夫となる八郎にはその願望はなく、たまたま同じ行為にふけるうち、「唯、岩魚を食ひ、水を鯨飲してゐるうちに龍體となつてしまつた」とも語り継がれていた[20]。
なお、湖の北岸にある御座石神社には、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだと言われる泉がある。
田沢湖の湖畔には辰子伝説にまつわる像が4体あり、漢槎宮近くにある舟越保武作の「たつこ像」の他に、湖の東岸にある「辰子観音」、北岸にある「姫観音像」、御座石神社境内にある「たつこ姫像」がある。
ここで疑問に思ったのですが
たつこ像は….
何故に金色 なの?と思いました….。
誰か 教えて~ (爆)
盛岡城跡公園(岩手公園)
話は 戻ってしまいますが 昼食 の 冷麺 を 食べ終え すぐ近くに在った 盛岡城跡公園 に行った訳ですが 外気温 は 30℃ オーバー。日本全国 何処に行っても 今年の夏は 暑い 気がします。 しかし、 湿度が低い分 僕にとっては 耐えられる 範囲 でした。
盛岡城跡公園(岩手公園)あらまし
盛岡城は,三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が,1597年(慶長2年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌1598年(慶長3年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ,北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し,それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)=御城内(ごじょうない)としています。
さらに,内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀で囲み,南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。また,外曲輪の北側と東側の中津川対岸の城下を堀で囲み,武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ)=総構(そうがまえ)が配置されています。
築城工事は,北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ,築城開始から36年後の1633年(寛永10年)に南部重直(しげなお)=(代藩主)が入城して以降,藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
盛岡城は,明治の廃藩置県の後1872年(明治5年)に陸軍省所管となり,1874年(明治7年)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され,城内は荒廃しました。
その後,1906年(明治39年)に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され,市民の憩いの場として親しまれています。
2006年(平成18年)には開園100周年を記念し,「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。
雄大な 石垣 。
盛岡城 の 石垣 は全て 城内 とその周辺で 産出 した 花崗岩 によって築かれているそうです 当時は 機械 も なにも無い時代 に人の手によって 築城 されたと思うと 凄い 話ですね~。
まとめ
2日目 の 観光 を終えて 目的だった 観光地 や 冷麺 をいただいて 満足でした。
僕の 地元には無い 不動 の山間 や 湖 を 観覧して その自然との風合いなどに触れ合ったことに 感謝 です。
どの 箇所 を訪れても 見尽くすられない のが 現状 ですが、
それなりに「良いもの」に 出会えた のも これが 縁だ !と思いつつ その場を後にした 次第です。
あとがき
冷麺 のお店ですが 候補 に 食道園 という場所にも 行きたかったのですが
ただ、そのお店が 休み だった為に行けませんでした。
機会があったら行きたいと思います。
また、地元の方でしたら「オススメ場所」があったらコメント欄にでも書き込んでくれたら幸いです。
でわ また 続く ということで、、。
ブログランキング / BLOGRANKING
コメントを残す